渓流釣りを楽しむために、会社を辞めてフリーライターになる

 実家は秋田県の内陸部にある小さな町なので、ろくな仕事はない。そこで秋田市内に家を借り、市内の広告会社にコピーライターとして就職。二度目の転職だった。
 東京帰りのコピーライターは、まじめに仕事に取り組んだ。しかし、東京時代に比べて給料はかなり安い。家賃が安いからいいだろうという人もいるが、田舎では車が必需品。車にかかる費用を考えると、家賃の安さなど吹っ飛んでしまう。
 中古だったが、初めてマイカーを手に入れたときの喜び。と同時に、渓流釣りに熱中してしまった。会社が休みとなれば、夜明けと同時に渓流を釣り歩く。
 季節によって変化する木々のトンネルをくぐり抜けて竿を出す。全神経を集中して仕掛けを振り込み、かすかな当たりに竿を合わせる。魚はキラッと光り、竿を絞り込む。細い糸が切れないよう、竿の弾力を利用して慎重に寄せ、タモ網を入れる。この緊張感と爽快感よ!初めて尺イワナを釣ったときの感激と、その状況は今でもはっきりと覚えている。

 しかし渓流釣りがブームになり始めた頃で、いかに田舎といえども土、日となれば、ほかの釣り人とかち合うこともある。先行者がジャブジャブ沢を渡っていけば、そのあとはまったく釣りにはならない。また、人が慎重に竿を出しているのに、その近くを平気で通り抜けて上流に向かう不心得者もいる。これでは緊張感と爽快感どころではない。沢の中でケンカが始まってしまう。他人を気にせず、ひとりゆっくり渓流釣りを楽しむにはどうしたらいいか・・・・。
 答は簡単に見つかった。人出の多い土、日は避け、平日に釣りをすればいいことだ。つまり会社員であることを辞めること。

 このとき、ふたり目となる長男が生まれた。僕の頭の中は渓流釣りのことでいっぱい。将来、子どもと一緒に渓流を歩くことを夢見て「渓介」と命名した。と同時に「辞めようかな病」が発病。結局、「平日にゆっくり釣りをしたいから」という、まったくもって不謹慎な理由で、入社一年半目の広告会社を辞めてしまった。
 妻には「何とかなるから、何とかするから」と伝えただけ。ついに収入の不安定なフリーライターになってしまった。

 さすがの妻も怒ってしまった。
「秋田は雪が降らないって言うから来たのに、雪は降るじゃない」と妻。
「降らないとは言っていない。積もらないと言っただけだ」と僕。
「何言ってるの、雪は積もるじゃない」と妻。
「実家の方の雪と比べりゃ、秋田市なんか積もったうちには入らない」と僕。
妻はあきれて言葉を失った。

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