●● 「潟端(かたっぱた)の暮らし」 ●● 
天王町
 西は日本海、東は八郎湖。南北に細長い天王町は、海の幸、特に潟の幸には大いに恵まれ、独特の生活文化・食文化を創り上げてきました。
 しかし、世紀の大事業といわれた八郎潟干拓により、日本第二の湖だった潟は消滅し、広大な水田が広がる大潟村が誕生。加えて、日本経済の驚異的な成長と産業構造の変化により、それまで長年にわたり受け継がれてきた文化や風習は消え去りつつあります。
 「水一升に魚四合」とまでいわれた、かつての豊かな八郎潟。そこには、四季折々、さまざまな魚介類を潟独特の漁法でとり、それらを無駄なく上手に利用してきた「潟端(かたっぱた)の暮らし」がありました。いわば、潟の幸は生命の糧といっても過言ではありませんでした。
 潟の漁に適した底の平たい「潟船」、帆に風をはらませた「打瀬船」、潟の中を歩いた「高足駄」などの船や漁具は、八郎潟独特のものでした。
 また、鮮度の落ちやすい魚を保存するために大量の塩をかけて塩辛をつくり、調味料としても幅広く利用した生活の知恵。潟魚独特の味や風味を引き出している「フナの味噌貝焼き」、「潟ガレイの飯ずし」、「チカの酢味噌合あえ」のような料理の数々。これらには、焼いてから煮たり、塩漬けしてから用いたりと、おいしくいただくためのさまざまな工夫が見られます。このような潟端独特の道具や味は、残念ながら一部のお年寄りが細々と伝えているに過ぎません。
 「潟語り」は、先祖代々受け継がれてきた潟の文化や食生活などを、見つめ直してみようというものです。
残存湖 ボラ塚

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