連載第1回目は明治、大正生まれの女性4人に、それぞれの思い出を語っていただきました。
みなさん、昔の潟の様子について、鮮明な記憶をお持ちです。
子どもの頃の遊びと手伝い
「私ら子どもの頃は、潟の水も本当にきれいなもんだった。夏は水泳。キュウリを半分かじっては遠くに投げ、競争しながら泳いで拾ったもんだ」
「そう、それとシジミ採り。小学校4、5年になると、男も女も毎日のように行った。ひざ位の深さでも、大きなシジミが一面に敷かさるようにあったな。両手で拾ってはカゴやタライに入れ、1時間もあれば二升は楽だった」
「んだんだ。あれは遊びのような、手伝いのようなもんだった。家で食べるし、売りもした。一升二銭位っだったかな・・・。今は、あんな大きなシジミ、見ることもねぇ」
「鴨貝焼きの準備で、鴨を骨ごとナタでたたくのも子どもの仕事っだった」
思い出に残る潟の味
「ウナギのカレーライスだな。潟のウナギは腕のように太くて脂ものっていた。焼いてからほしたものを、肉の代わりに使ってな・・・。当時は肉なのほとんど食べられなかったもの」
「グジの寿司。大きなグジを漬けたものは本当にふっくらしてな・・・。まるで餅のようだった。今は、あんな大きなグジはほとんど捕れなくなったものな」
「あの大きいグジを焼いて、大根おろしで食べるのもおいしかった」
「秋の白目だな。味噌で漬けたり、塩とコヌカで漬けたり・・・。焼けば脂がジュッと出てきてな・・・」
「小鯛が忘れられねな。大きな鯛は値が張るども、あれは一升で10銭ほど。塩で蒸したり、串に刺して焼いたり。なんぼでも食べられるし、尾っぽがピンと張って、きれいなもんだったな・・・」
その他、サヨリ、ショウブ(サヨリの子)の焼き干しの味など、潟にまつわる思い出はつきることがありませんでした。 |