天王町 潟語り

 かつて日本最大の湖だった「八郎湖」は、干拓されて現在ではわずかに「八郎潟残存湖」を残すのみとなっています。天王町はこの残存湖の南に面しています。
 干拓前、ここの人たちの暮らしは目の前に広がる八郎湖に大きく依存していました。そのころの暮らしぶりや、干拓後の暮らしぶりのいろいろを天王町に住む年輩の方々からお聞きしました。
 なお、このコラムは天王町の曹洞宗寺院「龍厳山自性院」の寺報「自性心」に連載中のものです。八郎潟の干拓についてくわしく知りたい方はこちらをご覧下さい。



--序-- はじめに 潟端(かたっぱた) 1993年12月掲載分
--1-- 昔の潟のこと かあさん方の話 1994年03月掲載分
--2-- 昔の漁のこと 桜庭為治さんの話 1994年08月掲載分
--3-- 氷下漁のこと・1 桜庭為治さんの話 1994年12月掲載分
--4-- 氷下漁のこと・2 桜庭為治さんの話 1995年03月掲載分
--5-- 潟から出てきた二銭銅貨 桜庭為治さんの話 1995年08月掲載分
--6-- ブラックバス 桜庭為治さんの話 1995年12月掲載分
--7-- 潟の春の味 小玉喜市さんの話 1996年03月掲載分
--8-- 潟魚のつくだ煮 進藤高保さんの話 1997年08月掲載分
--9-- 「煮干し」と「素干し」 進藤高保さんの話 1997年12月掲載分
--10-- 改良したケンコマンガ・1 杉淵茂元さんの話 1998年03月掲載分




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