●● 潟から出てきた二銭銅貨 ●● 
 前回も取材でお世話になった塩口地区の桜庭為治さん。その時、自宅の仏壇前に置かれていた明治八年の二銭銅貨。よく話を聞くと、この銅貨はシジミ漁をしていて偶然見つけたものとか。いつ、どのようにして見つけたのか。なぜ、仏壇にお供えしているのか。じっくり話をうかがいました。

拾ったのは親父のお祥月命日の日

 あれはまだシジミがたくさん獲れていた平成2年のこと。あの頃は3時間も引けば、500キロから600キロの水揚げがあった。銭コ(じぇんこ)拾ったのは忘れもしねえ、11月5日。親父のお祥月命日だったからな。  親父は80歳で亡くなったども、田んぼもないのに漁だけで11人の子どもを育てた漁師だった。名前は亀蔵。漁の仕方も酒の飲み方も全部教えてもらった親父だったな。
 船着き場でシジミの選別中、アバ(女房)が偶然見つけたのよ。それまで何回も「通し」(シジミを選別する道具)を通して最後の通しだった。薄っぺらな銭コだもの、タテになればすぐ落ちる。どこまでもヨコになってきたもんだべ。見つけた時はまっ黒で、何かわからなかった。それをアバが磨き粉をつけて磨いていたら銭コだったというわけよ。模様が少し消えたども、明治8年という字がしっかり見えるべ。
 潟では明治以降も事故が多かったし、誰がなくしたものやら・・・・。潟で銭コ拾ったのは後にも先にも、これが初めて。しかも親父のお祥月命日。偶然に偶然が重なった、なんとも不思議なことだよな。
 古銭として売ってもたいした値ではねえと思うども、俺にとっては金貨と同じ。だがら、こうして仏壇におそなえしてるのよ。
通し

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