●● 氷下漁のこと・2 ●● 
 八郎潟に氷下曳編漁法が伝えられたのは寛政6年(1794)のこと。久保田町(現秋田市)の商人、高桑屋与四郎が信州諏訪湖の漁法を習得し伝えたのが始まりといわれています。それまでは厚い氷の張る冬は、ほとんど休漁状態。この画期的な漁法はたちまち周辺一帯に伝わり、10年後の文化元年(1804)には八郎潟全域で、50余統の氷下漁が行われていたと伝えられています。
 この氷下漁を可能にしたのが、氷に穴を開けるテヂカラ(潟鍬)、氷の下にツナを繰り出すサオ(ツキザオ)、ツナの先につくクリヅナなどの漁具類でした。前回に続き、塩口地区の桜庭為治さんに話をうかがいました。

鋭い刃先で氷に穴を開けた、テヂカラ

 私らの場合、9人〜10人で一組。その中で船頭さんは網入れの場所を決めるだけで、穴開けなどの作業はしねのよ。我々は船頭さんの指示で穴を開け、網を入れ、氷の下にツナを通し、網を引くのが仕事。今のワカサギ釣りの連中のようにツルハシなの使ってたら、時間がなんぼあっても足りね。特に網を揚げるための穴は4メートル四方以上の大きなものだから、このテヂカラで氷を切るようにして穴を開けていったもんだ。
 テヂカラの刃は鍛冶屋へ特注。柄の部分は自分の体格に合わせて、使いやすいように自分で作る。刃先は毎日のように研いだもんだな。切れ味の悪いテヂカラ持ってれば、疲れるのは自分だもの。当時は今より氷も厚く場所によっては3尺近くもあったな。
 最初は綿入りのチャンチャンコ着てても、かなりの重労働だ。最後の方にはランニング一枚になることもあったな。氷が割れて落ちたり、氷に乗ったまま流されたり、テヂカラでケガをしたり……。危険な漁でもあったな。
 2月下旬か3月上旬でこの漁が終わると、潟の漁師のほとんどは、北海道のニシン場さ出稼ぎよ。
てじから

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