2003年11月 ●●● 山間部の田んぼで活躍する昔ながらの栗の木の稲架 ●●● |
大型コンバインによる稲刈りと、温風による人工乾燥が主流の時代。昔ながらの稲架(はさ)を使った天日乾燥はめっきり少なくなってしまった。 上小阿仁村八木沢地区は、萩形(はぎなり)ダムに近い山あいの小さな集落。ある程度、耕地整理も行われたというが、田んぼの大きさはさまざまで、昔ながらの稲架がけをしている農家が多い。 「この稲架は栗の木でこしぇだ(作った)もんで、立てでがらもう30年近い。栗の木は丈夫で腐りにぐいもんだがらなぁ」。こう説明してくれたのは小さな店を営みながら約40aの水田を耕作している山田健悦さん(67)。 稲架の高さは約3mで6つの穴が開けられている。稲刈りが終わると両側から長木で支え、穴に稲架子(横に通す長木)を渡して稲の束を架ける。県内の他の地域で見られる稲架のほとんどは、杉の間伐材や竹を使って毎年新たに組み立てるものだが、ここではメインの柱は立てっぱなし。かつて雪の多い年は稲架の上近くまで雪が積もり、この木に足をのせてカンジキのひもを結んだものだという。 「こごは平地が少ねもんだがら、昔はほとんど棚田。それを整理して大きくしても限度があるべ。今でも大きい機械は入りにぐいがら、こうして昔の稲架を使ってるんだ」と山田さんは言う。稲は天気の良い日が続くと約2週間で乾燥。その後は稲架から下ろして脱穀など、手間のかかる作業が続く。 この地区は厳しい自然条件に加え、過疎化と高齢化も進行中。あちこちに耕作を放棄した水田跡が見られ、畦道には風雪に耐えてきた稲架が黄金色の稲をまとうこともなく、さみしそうに立ち並んでいる。 「こんた山の中だもの。今年は冷夏の影響で平年の6〜7割の収穫だな。でも、こうして天日で乾かせば『うめ米だなぁー』って誉めでくれる人がいるもんだがら、もう少し頑張るべ」 山田さんのこの一言に、ほっとした気持ちになった。 |
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