干拓前の八郎潟周辺には、潟の魚を材料にしてつくだ煮をつくる工場が最盛期には55軒もあったといいます。しかし干拓を機にその数は減り続け、今では約10軒。わが天王町でも、たった1軒になってしまいました。 今も伝統の味を守り続けている、進藤つくだ煮加工所の進藤高保さんに話をうかがいました。
新鮮な魚があってこそできる「生煮き」(なまだき)
俺の家はじいさんの代にはつくだ煮屋を始めていて、俺が生まれた頃(大正15年)は、天王の橋の近くに工場があったもんだ。工場のすぐ前が潟だもんだから、船からそのまま魚を揚げることができたもんです。だから新鮮な魚を生のまま加工できた。これが「生煮き」です。
他県の業者は、いったん干した原料を使うところが多いもんだがら、ここの生煮きとは味が違う。潟の魚の味もよかったろうし、生煮きの技術もよかった。だがら八郎潟のつくだ煮は人気があったもんです。
現在の場所に工場を移したのは昭和50年。原料の魚は、潟のあちこちをトラックで回って集めている状態だな。潟の魚は少なくなっているのに、外国からは安い製品や原料がどんどん入ってくる時代だもの、私らの商売は大変よ。でも、「潟のつくだ煮が一番うめな」と言われればうれしい。それが励みになってるよ。
8月になれば、ワカサギも解禁だ。大漁が続いて忙しぐなってくれればいいどもな。俺はまだまだがんばるど! |